家屋の奥に二つの蔵がありました。
一つはお菓子の為の原材料庫、もう一つは開かずの代々の道具・衣装類が詰め込まれたものでした。 原材料庫は傷みもはげしく、取り壊すことにし、残り一つは内外装をやり直し、残す事にしました。
その蔵の中の古いたんすの引き出しから、縄手四条上ル二十一軒町の「町式目」と「元禄三年、新御年貢納覚帳」が出てきました。 他に嘉永七年と慶応四年の上菓子屋仲間の「定め書」「申し合せ書」「添證文」等々です。 ということで、創業を元禄までさかのぼれる事になりました。
勿論京都では決して威張れる事ではありませんが…


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先代"今西善造"は昭和の初め"黒田辰秋"を知ります。彼は店の内装を、辰秋の仕事でする事を考えました。李朝風の引出しの沢山ついた家具は引出しひとつひとつに菓子を入れ使うものでした。ガラスの家具はショーケースとして使うように考えた様です。そして朱塗りの「宝結び文」のウィンドバックが大きなものとして残されました。日本は戦争を始め、又善造本人も十七年、結核に倒れ、三十九歳で早逝。他にどのような内装を考えていたのか、今となっては知る術もありません。 小さな物としては「螺鈿製くずきり器」「螺鈿製菓子箱」等々残されています。

左:螺鈿卍文蓋物
中央:螺鈿くずきり容器
右:螺鈿八角菓子重箱

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平成十年、新店舗の竣工も間近にひかえ、蔵を中心とした庭のしつらえを始めた時、その蔵の前から、江戸時代の排水用の大きな植木鉢様のものが現れました。庭師いわく「水琴窟ですワ」。 今、庭を抜けて奥座敷に上がる前の手水鉢の下にそれを復元、流水音と滴水音を楽しむことが出来ます。


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