花食譜お茶のひととき歌舞伎の美学こらむ和菓子の周辺



ふつう草花も花木も主な花期は春から夏。晩秋にはいると、紅葉などの闊葉樹がつかの間色づいて華やぐものの、鉢物の花などをのぞいては、花の姿はへるいっぽうです。
秋冬は花が種子や実を結ぶとき。春の3月頃まで、自然界も私たちも花のない季節を日々過ごすことを余儀なくされます。
そのいっぽう実ものは潤沢。ゆく年くる年は、蜜柑や八 朔、伊予柑、林檎、ハウスものの苺などの果物類をたっぷりと味わえ、梅干入りの大福茶のある新年を豊かな気持ちで迎えることもできます。
というわけで、花食譜の編集にあたっては、例年、この季節の花の食材探しに少しばかり苦労します。
食べることが才能……というだけでは食材として取り上げる資格はなし。なにかと思案をめぐらし、身辺探索の結果、今号は「山茶花」に決定しました。
晩秋から冬、生け垣などに楚々と咲く一輪を食卓に。さてどんな味でしょうか。

垣根の垣根の曲がり角……ではじまる小学唱歌「たきび」には、本稿で取り上げた「山茶花」が登場します。山茶花は昔から馴染み深い花でした。垣根や塀が鉄柵やブロックの時代になっても、うれしいことに健在で、散歩の道すがら塀越しに見かけることが多く、いっとき幸せな気分に満たされます。
椿と間違える人がよくいるようですが、同じ椿科椿属の常緑樹なので当然のこと。 学名をカメリア属サザンカ種(Camellia sasanqua)といいます。学名は1775年に来日したスウェーデンの植物学者ツユンベリーが名付けたもの。種名は和名をそのまま引用しています。
この山茶花を世界に初めて紹介したのは、オランダの東インド会社から長崎の商館付医官として派遣され、文禄3(1690年)に来日したドイツ人医師のケンペルです。
彼は自著『異国物語』(1712)に、極東での見聞をいろいろ書き留めていますが、日本の特産花木として文中に出てくるのが椿と山茶花です。
椿の熱狂的ファンが外国に多いことはよく知られているところです。しかし山茶花ファンも負けてはいません。とくに高級樹としての評価は実に高く山茶花の生け垣をしつらえることが、上流階級の一種のステータスともなっているほどです。



難読漢字の例として、しばしば試験問題などに登場するのがこの「山茶花」という文字です。古くはサンサカとかサンザカとか読まれていたものが、変化し転化したものとか。子供がよくチャガマをチャマガなどと呼び違えたりしますが、山茶花の場合もこの音位転倒(メタセシス)の一例なのかもしれません。
転倒したのは音位だけではなくて、山茶花というこの花名そのものも実は誤りで、「茶梅」が正しい花名だとか。
中国では山茶花を茶梅、椿を山茶花と書きます。江戸時代のはじめごろ、わが国の本草学者が中国の本草書を書き写したとき、間違えたのが原因のようです。辞典の『言泉』にも、「山茶花は実はつばきの花なれども、古来、誤用し来たれり」と書かれているように、どうやら山茶花の名は混乱したまま定着し、現在に至ったようです。
茶梅より山茶花の方が、この風情のある花には似つかわしいとお思いになりませんか。ちなみに「姫椿」という美しい別名もあります。種子が固いので、九州などでは「カタシ」とか「コカタシ」などというかたーい古名で呼んでいたこともあるそうです。



◇◆◇小手毬ポテト◇◆◇
塩こしょうしたマッシュポテトを小さく丸め、軽く湯通しした花びらでくるみます。



椿と同種と思われていたせいでしょうか。古い文献から山茶花の名を探すことは、なかなか困難で、室町時代に書かれた『尺素往来』(往来物といわれる教科書。儀式、祭礼、武事、仏法などの関係語彙を集録したもの)が初出といわれています。
椿のような華やかさはないものの、散りゆく姿さえもが観賞の対象とされてきた花です。江戸時代には栽培も盛んとなり、『増補地錦抄』(1710年伊藤三之丞編)には作出された50品種が解説付きで集録されています。11代将軍の徳川家斉も山茶花の愛好者だったとか。
「山茶花を旅人に見する伏見哉」という西鶴の句があります。旅人に見せたのはどんな名花だったのかわかりませんが、京都にはぜひ一見をお勧めしたい花の寺が2ヶ所存在します。
その一つは、徳川家康の家臣だった石川丈山が、大坂夏の陣後に隠棲した一乗寺の詩仙堂。自らの手で植えた白い山茶花の古木は、いまや樹齢四百年。京都1の名樹といわれています。 あと1つは、大徳寺の塔頭・龍源院。南庭に大宮御所伝来の石灯籠と並び立つ、紅花の山茶花。その名、楊貴妃です。木枯らしのなか孤高の人をしのばせて、凛と咲く庵の白い山茶花。かたや秋雨のなか、緑の苔の上に散る情熱の人を思わせる真紅の花びらと、花どきの秋冬には、散華さながらの情景を一目と、訪れる人が多いと聞きます。



根強い山茶花人気にささえられて、園芸品種の数は、昭和15年に出た山茶花目録『茶梅』によると118品種。現在は300種を越えます。
極大輪八重咲きで香りのいい「東雲」、八重咲き「富士の峰」、二段咲きの「大和錦」など名花も多彩。花の味わいにも違いが、などと思いながら料理をするのも、花食譜の楽しみの一つでしょう。
和え物にしたり、一ひらずつ天ぷらにしたり、吸口にしたり、お刺身のツマにするなど山茶花の料理は同種の椿に準じます。お手元に『季楽』の4号をお持ちの方はご参照ください。
テレビの料理番組で、じゃがいものマッシュを丸め、山茶花の花びらで巻くという一品が紹介されていました。小手毬などという料理名が似合いそうな愛らしいできあがりになります。取り合わせで洋の献立にも和の料理にも。
花の蕾は刻んで白味噌とたたき合わせ、薄口醤油で煮ます。若芽は焼味噌に胡麻、麻の実、山椒など混ぜた法輪味噌で和え物もいいでしょう。
散り急ぐ花の命も色合いも、お茶やお酒にすると、いま少し長く楽しむことも可能です。たとえば山茶花茶。さっと洗った花びらを熱湯で煮たあと、酢を一滴落とすとでき上がり。花びらを一ひら浮かせると満点です。
山茶花酒は、花は洗わず、天日で生乾きしたものをガーゼに包んでお酒に漬け込みます。相性がいいのはジンやウオッカなど個性の強いもの。1.2年寝かすとおいしく、深い味になります。
山茶花の花言葉は、「愛嬌」と「謙譲」です。お客さまを山茶花の食事にお招きのときは、まず山茶花の花茶でおもてなし。のち、ビンテージならぬ2年ものの花酒をお振舞いください。笑顔を惜しみなくそえて。



◇◆◇花の天ぷら◇◆◇
花びらの両面に天ぷら粉をつけ、手早く揚げます。ほのかな桜色が愛らしい一品です。
◇◆◇山茶花酒◇◆◇
ホワイトリカーに漬け込んだ山茶花酒。雪見酒などにいかがでしょうか。


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中国の古い伝説の王で、医薬の祖といわれ、民に耕作を教えたという神農さんは、1日に300種(200種との説もあります)余りの薬草を、噛んだり、食べたりして調べ上げ、これらの薬草の毒消しのために、お茶を飲んだと伝えられています。
お茶に効能のあることは、神農神のおスミ付きですが、子孫である中国人はお茶好きで、香りの高いお茶がことのほか大好きな人たち。花の香りのするお茶を飲みたい一念で、つくり上げたのが、中国茶の傑作ともいえる数々の花茶です。
代表は、茉莉(ジャスミン)、蘭、菊、薔薇、水仙など。産地で摘み取った花が製茶工場に運びこまれて、同時間に乾燥が完了した茶の葉と、交互に積み上げます。
お茶の葉には香りを吸収する成分があるので、花の香気が見事に茶に移るのです。花の香の吸着後、花と茶を篩い分け、別々に乾燥。改めてもう一度混合、根気のいる手作業の繰り返しの結果、優れた中国の花茶が誕生します。


花茶でよく知られているのは、これら中国産のほかにドイツのペパーミント茶、ロシアのアザミ茶、北欧のエリカやキャベツ茶、イタリアのカモミール(8重の野菊)茶、そして日本の蘭茶、桜茶、紅花茶などの各茶があります。
花茶の説明書や効能書きを見ると、大部分が精力増強をはじめ、疲労回復、食欲増進、精神安定などをうたっています。
花は生殖器官で、咲いたあとは種を結びます。葉や茎にない不思議な力を持っていることを、自然と深く関わりながら生きてきた祖先たちは、体験的に知っていたのだと思います。
花茶を飲むことは、花の生命力を飲むこと、いただくこと。中国の人たちに負けず、一杯の花茶で元気になりましょう。


花茶の好きな人は、日本人にも大勢いますが、若い女性たちの間で好評なのはハーブ・ティです。
薔薇、カモミール、リンデン、ミント、ペパーミント、ローズマリー、レモングラスなどヨーロッパ各国の伝統的なハーブ・ティにプラス、ギムネマなどインドのハーブ・ティのほか、南米のカウボーイこと、ガウチョ愛飲のマテ茶も登場するにぎやかさです。朝食前の一杯のお茶で、馬に乗って半日は駆け回ることができるとのこと。健康にあやかろうと愛飲者が増え、マテ茶協会もすでに設立済みです。
香気とか色には関係なし、煮だったお茶をひたすら注ぎ替え、泡立ったら薄荷の葉を一ひらと砂糖をたっぷりと。砂漠の民が生み出した薄荷茶も人気高。のどの渇きも心の渇きも潤してくれるとか。おためしあれ。


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音楽劇といってもいい歌舞伎で、音楽面を担当するのが黒御簾音楽(下座音楽)と、舞台音楽である。演奏者が姿の見えない黒御簾の中で演奏する前者に対し、観客の前に姿をあらわし、舞台上の決まった場所で、歌ったり、音を奏でたりするのが後者の舞台音楽である。

下座音楽が一口にいえば、劇の雰囲気を盛り上げる効果音であるのに対して、舞台音楽は役者の演技を指示する所作音楽ともいえるし、脚本の一種の語りともいえる。

歌舞伎の演目は、その多くを人形浄瑠璃から取り入れてきたという歴史的な背景があるため、音楽は不可欠だ。その代表が長唄をはじめ、常磐津、竹本、清元などで浄瑠璃、義太夫など歌舞伎にかかせない音楽である。

長唄は歌舞伎舞踊の伴奏音楽として生まれた。劇としての展開ではなく、演じ手や衣裳の美しさ、変化で観客を魅了することが特徴である。


長唄は文字通り歌だが、常磐津と清元はともに浄瑠璃という語り物である。歌舞伎は、人形浄瑠璃のために書き下ろされた戯曲を取り入れて上演している。これを義太夫狂言という。例えば『忠臣蔵』や『千本桜』が一例だが、他の文章やト書きを語る語り手が必要で、その語りを受け持つのが義太夫の役割。各場面の各所作や状況を、唄うがごとく語る。

この義太夫を語る太夫と三味線を竹本という。義太夫狂言が上演される場合、竹本の仕事のできが舞台をきめることが多い。舞踊の演目の場合は、舞台奥の赤いもうせんの上に長唄の唄い方はじめ、三味線方に囃子方が並び演奏する。これが「出囃子」。並ぶ台は雛飾りに見立ててか、雛壇と呼ぶ。

常磐津や清元が舞台に出演し、筋のある物語に節をつけて語りあげるのを「出語り」といい、座って演奏する台を「山台」と呼んでいる。竹本の持ち場は、舞台上手の「床」。回転式の盆のようなしつらえなので、この盆をまわして登場する。

蔭囃子の黒御簾音楽だけでは歌舞伎の舞台は成り立たない。所作に華をそえる舞台音楽もあってこそ、俳優の舞台はいっそう映えるのである。


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ワラ半紙 
手持ちの原稿用紙がついに品切れとなった。 ワラ半紙製である。印刷屋は紙を入手できぬ、そちらで都合をつけてくれればという。
ペンで書くとにじむ。鉛筆は文字がのりにくく、読みづらい。いろいろと難点はあるけれども、少しくすんだ色、粗雑な手触りには捨てがたいものがある。印刷できれば1枚10円也。
いまやワラ半紙は、林檎の国光などと同じく希少品種となってしまったらしい。 俵もなければワラも見かけぬ時代だから当然だろうが、1冊金二拾円の『諸国名物菓子』も、定価七拾円の『英語研究者の為に』も、ワラ半紙製の本で読んだ世代としては、さみしく、未練もある。
上質紙では言葉が上滑りする気がする、と上質ではない物書きの私、述懐。 パソコン世代に笑われる。21世紀、利便さはますます進化するだろうが、不自由なことも多くなりそうだ。


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大麦とちがって小麦は早くから粉食用として消費されてきました。輸入小麦を主としたパ ンが最大の用途で、うどん、素麺などの麺類、ケーキなどの洋菓子、和菓子がそれに続きます。麩まんじゅうの、のどごしのつるりむっちり感も、小麦粉から生まれるのです。

 
小麦は世界で最も生産量が多いイネ科の植物で、稲やトウモロコシとともに3大穀物と呼ばれています。
起源も神話に登場するほど古く、『古事記』には高天原で素戔嗚尊に殺された大宣都 比売(食物を司る女神。保食神ともいう)のなきがらから、「稲、粟、小豆、 大豆、麦」の五穀が、『日本書紀』には、以上の五穀にさらに稗を加えた六穀が生まれたと書かれています。
こうした五穀創世神話と麦との関係は日本独自のものではなく、外国の神話でもしばしば見かけることがあります。例えばローマ神話の豊作の女神 ケレスは、頭にヒナゲシと小麦の花冠をいただいて登場しますし、エジプト神話に登場する穀物の女神イシスも、17世紀のドイツの画家キルヒャー の描いた図像を見ると、五種類の穀物を飾った冠をかぶっています。その穀物の両端の小麦には、ラテン語で「小麦の発見」と言う説明が書き込まれていておどろかされます。
西アジアでは17,000年前、氷河期の旧石器時代に野生の麦類を採集 し、食用としていたことが、炭化した麦の粒の発見によってわかっています。 世界の神話の穀物神と麦の話は、麦の起源がはるか古代にさかのぼること、麦が人類にとって大切な糧であったことを物語っているのです。


弘法大師は中国からそばやせんべいなど、いろいろなものを持ち帰ったという伝 説の多い人です。麦もその一つで、ほんの三粒程隠し持って帰ろうとしたところ、犬が吠え泥棒と間違えられたという逸話が阿波にはあるそうです。
麦はユーラシア大陸を経て、朝鮮半島から4.5世紀にもたらされたとの説が従来の定説でしたが、各地の遺跡から小麦の粒や、花粉が発見された結果、 いまでは縄文か弥生時代の前期に伝来したとの説が有力視されています。
小麦の栽培が普及したのは奈良時代以降のこと。収穫した米を年貢として取り立てられた農民たちが、自給用に稲の裏作に作りはじめたのをきっかけに、列島中に麦畑が広がることになりました。
岩手の麦生、群馬の麦倉、岐阜の麦島、志摩半島の麦崎、奈良の麦谷、 屋久島の麦生など、北から南に麦の字のつく地名が点在しているのは、さかんだった麦畑農業の名残です。

麦の文字入りの季節感あふれる言葉は地名の他にもたくさんあります。 初夏にとれる烏賊やイサキや鯊や鯛を、「麦烏賊」「麦藁イサキ」「麦藁 鯊」「麦藁鯛」などと呼ぶ地方があるのはその一例。麦の収穫期の初夏がこれら魚類の漁獲期に当たり、しかも大漁で美味なのだとか。京都にも「麦藁章魚に祭鱧」 なる言葉があります。麦の穂の色づく5.6月ごろ、生きたまま市場に入荷する海の幸は、京の夏祭りに欠かせないものでした。
初夏のころを、黄金の麦畑が香り立つような美しい言葉で「麦の秋」とか「麦秋」と呼びます。この言葉を聞くと、小津安二郎監督による松竹大船映画の『麦秋』が懐かしく想い出されます。原節子と笠智衆主演の名作でした。
かつて「むぎのあき」とルビ付きでアメリカ映画の『麦秋』が上映されたことがあります。 『Our Daily Bread』という開拓物語に風流な邦題をつけた人は、なかなかのセンスの持ち主です。
プロバンスの陽光のもとで、パリ郊外で、画家のゴッホは、黄色に波打つ麦畑( 『ラ・クロの平原』)や、黄褐色の麦畑(『カラスのいる麦畑』)を描き、小説家のアルフォンス・ドーデは、小麦をロバにのせて風車小屋に持ち込む村人 と親方との交情を珠玉の『風車小屋だより』にまとめました。
茫漠たる麦畑の中を傷ついた兵隊たちが進軍する従軍記『麦と兵隊』(昭和13年『改造』)を書いたのは作家の火野葦平。
小諸義塾に教師として赴任した新進の詩人、島崎藤村は『千曲川のスケ ッチ』に、「麦の熟するとき」や「麦畑」など文章による麦のスケッチを何点も納めています。
あたゝかき光はあれど野に満つる香も知らず浅くのみ春は霞みて麦の色わづかに青しとうたった「小諸なる古城のほとり」は、明治から大正時代の若者たちの愛唱詩でした。
いまや麦畑も少なくなる一方ですが、麦や麦畑のある心象風景は、 かくも人々を感動させる存在だったのです。

小麦は古名を「古牟岐」と書き「未牟岐」とも呼ばれていました。古代人 は小麦を真の麦と考えていたので、「未」は「真」と同意であると源順の『倭名類抄』は説いています。
小麦を挽くと小麦粉ができます。世界には発酵パン文化圏のヨーロッパ、ナンやチャパティ文化圏の西アジアにインド、パスタ文化圏のイタリア 、饅頭・麺・餅文化圏の中国など、その国特有の風土や食習慣から形成された「 小麦粉文化」があります。  お米の他に大麦のお粥、粒食が主体だった日本でも、唐菓子やら策餅( 素麺のルーツ)など中国の小麦粉文化が入ってくるにつれ、小麦を粉にして食材とする粉食が定着することとなりました。
英語では小麦粉を「フラワー」といいますが、これは元々フランス語のF leur de Farine「粉の花」が語源。花という言葉は、小麦粉の最も上質部分という意があるとか。 日本では小麦粉をうどん粉と呼んだりもしますが、これは国産の小麦粉がうどんづくりに適していたため。明治時代に入り、アメリカから小麦粉を輸入するようになってのちは、メリケン(アメリカン)粉を小麦粉の代名詞として使っています。
用途や品質の等級で分類されていて、蛋白質が多くグルテンの形成の多いものから順に、 食パンや生麩向きものが強力粉、菓子パンやかりんとう向きを順強力粉、うどんなどの麺類向きが中力粉、カステラやクッキー、駄菓子などに適したものが薄力粉と大別されています。
小麦粉からつくる生麩は古くから京の名産としておなじみ。料理に使われるだけでなく、 茶うけ用のものがつくられるようになったのは室町以降のこと。京都の麩屋町通りは昔、麩師と呼ばれる人たちが集い住んでいた地だそうです。
小麦粉に水を加えよく練るとグルテンができます。流れ出た澱粉(正麩)を乾燥させたのが浮き粉で、菓子材料や餅の取り粉などに用います。グルテンに餅粉などを加え、蒸すか茹でるとできるのが生麩。この生麩で餡を包み、笹の葉で巻いたものが麩まんじゅうです。
小麦粉という素朴な食材から、雑菓子のかりんとう、上菓子の麩まんじゅうと、 味も形もちがうものの生まれる不思議。南空に牛飼座の麦星が輝くころ、あれこれ想いめぐらしながら麩まんじゅうをいただくのもいいかもしれません。

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