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風呂敷の起源は「衣包(古路毛都々美)」別名「平包」とも
物を包む1枚の四角い布切れに、なぜ「風呂敷」という名がついたかには、いろいろと興味ぶかい話が残されています。

風呂敷という名が一般的になったのは江戸時代のことで、それ以前は「衣包(ころもつつみ)」とか「平包(ひらつつみ)」と呼んでいました。『倭名類聚抄(わみょうるいじゅうしょう)』には「古路毛都々美(ころもつつみ)」と書かれています。たかが1枚の包み布にすぎませんが、平安人たちは衣にも、衣を包む布にも思い入れを持っていたのではないでしょうか。

衣類を布で包んで頭の上に載せ、運んでいる女性の姿が、平安末期の『扇面古写経(せんめんこしゃきょう)』の下絵に描かれています。これが平包を例証するいちばん古い絵だそうです。

ただし文献上に「風呂敷」という文字が登場するのは、徳川家康の形見分けの品を記録した『駿府(すんぷ)御分物御道具帳』がはじめて。最古の資料とされています。江戸時代のはじめ、元和2年(1616)のものです。

風呂敷の由来は文字からも推察できるように、風呂と深い関わり合いがあります。

湯屋(ゆや)で風呂に入るとき、床に敷いた平包の上で身仕舞いをしたことから、風呂で敷く布、すなわち「風呂敷」の名が生まれたとか。

 
足利、大名たちの 元禄、庶民たちの風呂敷事情
風呂は元禄時代(1688〜1704年)ごろまで蒸し風呂が用いられていました。『枕草子』や『今昔物語』さらには『吾妻鏡』などにも、焼石に水をかける蒸し風呂の情景が書かれています。

当時の浴場は、寺院の財力や僧侶の勧進によってつくられたものが多く、功徳を施す手段の1つだったそうで、室町時代(1392〜1573年)にはこの施行の風呂を功徳風呂と呼び、日を決めて一般の人々を入浴させたそうです。

浴室を各自に備えることが許されていたのは貴族や僧侶、武家たちに限られていました。足利義満が大湯殿(おおゆどの)を建てたとき、招待された大名たちは、家紋入りの絹布に脱いだ衣服が紛れないように包み、風呂から上がると包みを解いて床に敷き、その上で身づくろいをしたという史実が残されています。

一般的に庶民の間で風呂敷が使われだしたのは『日本国語辞典』によると元禄時代のことです。

蒸し風呂に入るときには、男女とも下帯などの下着をつけます。風呂道具を包んだり、濡れた衣類を持ち帰るのにも風呂敷は不可欠でしたが、銭湯が発達し、庶民の間で入浴の習慣が日常化するとともに、脱衣籠や棚などが備えつけられ、風呂場で敷くという本来の風呂敷の出番は無くなりました。

 
慎ましく、こころも包む 端正な「平包」は風呂敷の包みの基本
1枚の布、されど風呂敷の使い方は万能。包む、運ぶ、守る、保つなどの役割と機能性を持っています。

布の末端を結ぶことで、丸いもの、四角いもの、縦長のもの、横長のものなど包みにくいものも、巻き包み、すいか包みなどの手法を用い、融通自在に包みこむことができます。

日常、風呂敷を使うときは、結ぶことを基本にしていますが、かつて「平包」と呼ばれていた風呂敷のいちばんの要素は「包む」ことです。

「包」という字は、母親の胎内に子どもが宿っている象形文字で、語源は「つつしむ」だといわれています。

包みの手法のうち、折り目正しく畳むことで、包まれている中身を一層引き立てることができるのは平包です。婚礼などの慶事をはじめとして、家と家とのおつきあいの場でかわす贈答の品は、上質の絹の風呂敷で平包にし、語源の慎(謹)むの文字通り、礼をつくしてうやうやしく、おごそかに、ひかえめに…します。こころを忘れずに。

バックに1枚 持ち手の人柄がしのばれます
1枚の布とはいえ、風呂敷は日本の伝統美の集大成です。包むという機能や用途はもちろん、包んで美しく、解いたときも美しいことも大切。風呂敷にはわが国ならではの洗練された色彩感覚や公家文化とともに発達した有職文様、古代中国やサラセンなどから渡来した文様に想(アイデア)を得た意匠などが花と咲き匂っています。

なかでも染色文化の中心地である京都でつくられるものは伝統美と新しい感覚の精華。「京風呂敷」と呼ばれ、好評です。

風呂敷の模様で多用される伝承柄や吉祥柄は、いろいろおめでたい意味を持っています。たとえば、木綿風呂敷でおなじみの代表柄である唐草は、茎が伸び生命力に富んでいるため、江戸時代から子孫繁栄の象徴とされていたようです。

風呂敷には大小ありますが、大店(おおだな)の商いにはもっぱら屋号や紋入りの大風呂敷が活用され、紋入りのものは婚礼道具や調度などにもかけたりしました。

火事が名物だった江戸では、布団の下に一反風呂敷(概ね畳2枚分)を敷き、半鐘が鳴ると寝具の上に家財道具を放り投げ、そのまま風呂敷に包んで避難。防災用品としても不可欠だったようです。

明治や大正時代の女性たちの間では、紫ちりめんの御高祖頭巾(おこそずきん)が流行。今でも東北の一地方では「風呂敷ポッチ」というかぶり物として利用したりします。

包む物の大きさや形にとらわれることなく、変幻自在に包むことができること、畳むと小さくすることができて軽量であることなど、その融通性・自在性が近年見直されて、「和」を愛する人たちの間では根強い人気。手放せません。

 
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