当社謹製の「くずきり」は、今でこそ「京の味」として京都はもとより全国各地で食されて居りますが、今の形は、昭和の初期、信玄弁当の器を模して「くずきり」と「黒蜜」を累鈿製の器で供し、祇園に遊ぶ文人、墨客をはじめ、通人、粋人といわれる人々に好まれたのが始まりで、いつしか広く賞賛を戴くようになりました。
 

 

葛は吉野の里に自生し、花や葉はいにしえより詩に歌われ、その根は葛粉として、薬効を認められております。 弊社も古くから、吉野大宇陀の森野薬園産の葛を菓子等に使用しております。特に「くずきり」は、本物の葛の風味を食通の皆様にお召し上がりいただけると思います。
 
 
水上勉

小さい頃、若狭(わかさ)の野山でくずの花をみた。紫色のふさになって咲くこの花は、秋末にはサヤ豆のような果になっていた。京の「鍵善」 にきてくずきりをたべていると、故郷の土の香がするのは私だけであろうか。
聞けば、「鍵善」では大和のくずをつかっているそうな。しかし、むかしのくずは若狭境の奥山産のがあったともいう。くずは根のつよい植物で、アメリカなどは日本から種子を輸入して、土くずれを防ぐ用に供し、何万坪ものくずの花の咲く山があるそうだ。花はみごとでも、根がおいしくたべられるくずの風雅はアメリカ人のものではない。
これはなんといっても日本の味だ。酒好きの私が、「鍵善」の二階へあがって(*1)、あの独特の器に入れてさし出されるくずきりに、舌つづみを打つのは宿酔(ふつかよい)の朝である。蜜の甘さと、くずの淡白さが、舌の上で冷たくまぶれて、つるりとのどへ入りこむ。
あの味は、菰(こも)かむりから出る地酒の特級と同趣で、じつにうまい。うろこのようにかさなって咲く紫の花びらが、たべ終わったのこりの、氷水の面に、うつっているような気がする。私はいつも、二杯目をおかわりして笑われる。欅(けやき)づくりの店のたたずまいも、京の「鍵善」の風格にちがいないが、器や卓がいくらこられていても、味がまずければ永続するものではない。日本の山野の土を守った根が、おいしく加工されているからである。文明は山野をいくらけずりとっても、自然の美味はのこすものだ。
くずきりは京の味の王者だと思う。

*1 現在の喫茶は「一階奥」にございます。