「鍵善」の代名詞である「菊寿糖」と「くずきり」から、当店の菓子についてお話ししていきましょう。ともに日本古来の自然の恵みから、滋味を素直に引き出しているものです。
「菊寿糖」は、菊の花をかたどった愛らしい干菓子です。阿波(徳島)特産の和三盆糖の甘みは繊細で、口どけなめらか。後口がすっきりしているのも特徴です。幕末の元治元(1864)年の菓子型が残っており、少なくとも150年以上つくり続けているロングセラーになります。初期は片栗粉を使っていましたが、昭和に入り、素材を和三盆に変えてから、広く知られるようになりました。当時、和三盆だけでつくられる干菓子は他になく、とりわけ茶人や通人のあいだで好まれたそうです。
菓子銘はその昔、菊の葉に溜まった露を飲んだ少年が800年の長命を得たという謡曲「菊滋童」の故事にちなんだもの。日本画の大家・安田靫彦さんの絵をあしらった掛け紙で美しく包みます。
いっぽう、「くずきり」はシンプルの極みと言えましょう。つるんとした喉ごし、絶妙なコシの強さが身上です。材料は葛と黒糖蜜、そして水のみ。葛を水で溶き、湯煎して冷水にとり、細く切るだけなのですが、まことに奥の深い甘味です。昭和に入ったころ、界隈のお茶屋や南座などに出前していたのが始まりで、昭和30年代に口づてに評判となり、喫茶室でお出しするようになりました。当時の器は螺鈿細工の特製漆器。葛と蜜だけの潔さを引き立てるものでした。
鍵善の菓子づくりは、素材がいのち。だからこそ厳選して、その時々の「塩梅」を見ることが大切になってきます。材料の状態や温度・湿度などを考慮して行う、微妙な手かげん。変わらぬ味の秘訣です。
「菊寿糖」に使う和三盆は阿波市・土成町の特産品で、大量生産できません。多くの工程を手仕事ですすめます。製造過程は大きく三つに分かれます。まずサトウキビの汁を搾りとり、次いで搾り汁からあくを抜き、煮詰めて冷まし白下糖に。最後に白下糖から糖蜜を取り除いて仕上げます。大変手がかかり、仕上がりまでに三週間ほどを要しますが、江戸期から代々続く製法なのです。
「くずきり」の葛は、奈良吉野・大宇陀町の「森野吉野葛本舗」のものをずっと使ってきています。喉ごしのよさ、程よいコシの強さは最上質の葛ならでは。
製法はこちらも昔ながらの手作業です。「吉野晒し」といって、寒さの一番厳しい時期に、葛の根を細かく砕き、地下水に何度もさらして精製した後、自然乾燥させます。それだけ手をかけてとれる葛粉は、根の重量のわずか1割。食用の他に漢方薬の原料に使われたりと、効能も豊富です。
また、黒糖は沖縄の小さな島の物。すっきりとしたこくの、葛に良く合う風味を選びました。
店内には、古くから伝わる道具を並べています。玄関上部の壁にも、菓子を成型するのに用いる木型をずらりと。堅くて歪みにくい桜や樫の木を削りだしてつくられており、中には江戸時代のものもあります。菓子のデザインや大きさに合わせて、どっしりと大きな板から、細長くスタイリッシュなものまで幾型もあって、それ自体が装飾品のようにも見えます。じっさいに古い木型の意匠から、今の時代にふさわしい木型を彫りおこしたりもするのです。
また、型それぞれに、菓子に厚みを出すために上から押す「上型」がありますが、「菊寿糖」の上型はずいぶんすり減っていました。それだけたくさんつくっていたということでしょう。木型の状態からも、当時のようすが伝わってきます。
厨房の道具も、ずっと長く同じものを使っていることが多いです。「くずきり」をつくる打ち出し銅の鍋もそのひとつ。平たい円型の打ち出し銅に取っ手がついています。お客さまの注文があってからつくり始めるスタイルも最初から変わりません。
京菓子は季節や年中行事とともにあります。じっさいの季節を先取りしてお出しする上生菓子などもあれば、栗などのように、素材が手に入る時期にだけつくるものも。自然の恵みしだいなので、その年、その季節によって期間は多少変わってきます。
その一方で、あらかじめ決まった日にちにしか店頭に並ばないものもあります。たとえばちまきは端午の節句を含む3日間、水無月は晦日(6月30日)までの3日間だけ、というぐあいです。なかには、年に1日だけお出しするものも。月見団子や、土用のあんころ餅などです。その日が定休日に当たったら、その年はつくりません。
季節を映し出すものとして、あるいは行事を祝ったり楽しむために。長年そのようにしてきましたし、これからも変わらず続けていきます。